あゆみ

    当時、宮原地区には正圓寺の階下を借りた市の保育所がありましたが、昭和27年には入所希望が殺到し収容できない子どもたちが溢れかえっていました。地域の育成協議会の方々が中心となり、地区の総意を受け一時的対応策として正圓寺の階上を借り、保育所を設けるものの、給食問題の制約が一本化できず、その処遇差についての対応、善後策について度々協議されていました。その際、子どもの場を作るにあたり解決できるなら自分の土地を提供しても良いと発言し、前途の道を開いたのが創設者後藤俊一でした。

 

    昭和21年復員帰国した後藤は、終戦間もなく襲った枕崎台風の山津波で家族を失ったことを知らされます。後藤の脳裏に出征時、手を振ってくれた我が子の存在が常にあり、地区の子どもの保育問題に情熱を湧かした事が伺えます。災害の後を6年かけて元の地面にまで整理されたちょうど27年のある日「明日大工が来る、子どものための家を建てねば方法がつかぬ」と告げたのでした。正圓寺階上の保育の場は閉じられ、家庭待機している子どもたちを迎えるための保育所が9月1日完成することとなります。

 

    できたばかりのところに子どもが集まり、机が運ばれ腰掛が入ります。オルガン1台、手製の電畜機、然し保育用品は中々揃いません。新聞紙に墨で絵を描いたり、さら紙に鉛筆で描いたりの、物のない中で工夫しながらも楽しい日々が始まり日一日と過ぎていきました。

(故後藤富子前園長手記より抜粋)

戦後生まれた子どもたちが幼児となり、たくさんの待機児が溢れていた宮原地域の要求と話し合いの中で、 「子どもたちが笑顔で遊べる場を」と創設者故後藤俊一が土地を提供し、保育所を設立した。

後藤のあゆみ

1952年 (昭和27年) 9月 後藤保育所開設
1952年 (昭和27年) 12月 認可保育所となる
1964年 (昭和39年) 4月 学童保育開始、その後1966年5月呉市宮原児童館へ移る。
2001年 (平成13年) 3月 特定非営利活動法人徹信会 後藤保育所となる
2014年 (平成26年) 5月 社会福祉法人徹信会 後藤保育所となる
2015年 (平成27年) 3月 園舎改築

 

*学童保育…故後藤富子前園長が卒園した小学校へ入学した子どもの帰る場所にと自宅を提供し、学童保育を始めた。これは呉市放課後児童会の端緒。園庭にある電車は当時市電廃止の際、学童保育室として市交通局より譲り受けた。

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